“生ける伝説”田臥勇太の経歴詳細、プレイスタイルなどをまとめてみた!

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こんな悩みに応えます。

田臥勇太選手って、どんな経歴を持っているの?プロフィールは?

日本人初のNBAプレイヤーとなり、生ける伝説と称されている田臥勇太選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。

どうしても田臥勇太選手といえば、「能代工業高校」「フェニックス・サンズ」「栃木ブレックス」というイメージが強いかもしれませんが、彼がアメリカでどんな経験を積んでいたのか、高校卒業後は何をしていたのか、知っている人は少ないでしょう。

そこで、この記事では田臥勇太選手の詳しい経歴や、プレイスタイル、プライベートにも迫っていきます。

(トップ画像出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/basketball/2017/09/28/___split_11/)

田臥勇太のプロフィール

まず始めに、田臥勇太選手のプロフィールから確認していきましょう。

(出典:https://dot.asahi.com/wa/2017050400021.html)

田臥勇太

1980年10月5日生まれ 神奈川県出身

173cm 75kg ポイントガード

栃木ブレックス #0

田臥勇太の学歴

田臥勇太選手の学歴を振り返っていきます。

  • ミニバス:矢部小学校
  • 中学校:大道中学校
  • 高校:能代工業高校
  • 大学:ブリガムヤング大学ハワイ校
  • プロ:トヨタ自動車アルバルク→ロングビーチ・ジャム→フェニックス・サンズ→アルバカーキ・サンダーバード→ベーカーズフィールド・ジャム→アナハイム・アーセナル→リンク栃木ブレックス

学歴は上記の通りとなっています。

田臥勇太選手は能代工業高校を卒業後、すぐにアメリカに渡りNCAA2部の舞台で経験を積むことを選択しました。

プロになってからと言うのは、実はさらに細かく分けられるため後ほど紹介していきます。

田臥勇太の経歴

ここからは、実際に田臥勇太選手が歩んできた日本での経歴を紹介していきます。

小学校〜中学校

小学校は、神奈川県横浜市戸塚区の矢部小学校にてミニバスをスタートさせました。

小学校3年生の頃からは、ソフトボールも始め小学校のうちはバスケとソフトボールを掛け持ちしていたようです。

中学校に進む際には、シニアリーグ(ソフトボール)からの誘いもあったようですがバスケを選び、横浜市立大道中学校に入学しました。

1995年の夏の全国大会では、3位に輝き大会ベスト5を受賞。小学生の時にはバスケとソフトボールを掛け持ちしていたにも関わらず、どちらの競技もハイレベルにこなせたわけですよね。

高校

中学校卒業後は、秋田の名門県立能代工業高校への進学を決めました。(能代工業高校は統廃合され、校名が変わることが決定しています。)

1996年の4月に入学をすると、入学直後からスタメンの座を勝ち取り、高校3年間

  • 高校総体(インターハイ)
  • 国体
  • 全国高校選抜(ウィンターカップ)

の3つの主要全国大会で全て優勝。史上初の9冠を達成しました。

このとんでもない記録を打ち立てたチームの中心にいたのは田臥勇太選手です。全国高校選抜では3年連続で大会ベスト5に選出されるなど、当時から異彩を放っていました。

ちなみにですが、高校3年次に東京体育館で開催された全国高校選抜では、9冠を達成したその瞬間、能代工業高校の節目となる全国大会50回目の優勝でもあったのです。

1999年3月には、ナイキフープサミットと言う全米ジュニア選抜と、世界ジュニア選抜とが対戦するエキシビジョンマッチに、日本人として初めて出場をしています。

トヨタ自動車アルバルク

大学を中退した後、2002年からは日本のスーパーリーグ、トヨタ自動車アルバルク(現:アルバルク東京)に入団し、その年には新人王を受賞・オールスターファン投票でも1位に選ばれました。

2003年5月にはトヨタ自動車アルバルクを退団し、そこから数年間のアメリカでのNBAを目指す闘いが始まりました。

栃木ブレックス

2008年8月に、JBLのリンク栃木ブレックス(現:栃木ブレックス)に入団し日本復帰を果たしました。

入団後は1度NBA、ダラス・マーベリックスのミニキャンプに招待されたものの直前練習でかかとを打撲してしまいキャンプには参加できず、そこからはずっと日本のリーグで活躍をしています。

日本復帰後の成績はと言うと、

  • アシスト王:2回
  • スティール王:2回
  • シーズンベスト5:2回
  • 年間ベスト5:1回
  • 月間MVP:2回
  • プレーオフMVP:1回
  • JBL優勝:1回
  • Bリーグ優勝:1回

となっています。

田臥勇太のNBA・アメリカでの記録

(出典:https://xn--5ck1a833wtjf.com/2017/06/15/%E7%94%B0%E8%87%A5%E5%8B%87%E5%A4%AA%E3%81%AE%E5%87%BA%E8%BA%AB%E5%9C%B0%E3%81%A8nba%E3%81%AE%E5%B9%B4%E5%8F%8E%E3%82%84%E6%88%90%E7%B8%BE%E3%81%AF%E7%AB%B9%E5%86%85%E7%94%B1%E6%81%B5%E3%81%A8/)

田臥勇太選手は、大学時代からアメリカでの経験を持っているのですが、アメリカでは一体どんな日々を送っていたのか、紹介していきます。

大学時代

能代工業高校を卒業後、ハワイにあるブリカムヤング大学ハワイ校に進学しました。

アメリカの大学は単位をしっかり取得していなければ、試合に出られないと言う規定が設けられているのですが、田臥勇太選手は2年間は単位取得の関係や怪我によりプレイをすることができませんでした。

豆知識

NBAのスーパースター、ドウェイン・ウェイドも単位取得の関係で大学時代には試合に出られなかったシーズンがあります。

2001年には選手登録をされ「日本のジョーダン」と紹介されるなど、活躍が期待されていました。全試合に先発出場すると、マン・オブ・ザ・マッチ(そのゲームのMVP)に輝くこともあり、才能の片鱗を見せたのです。

大学は3年半で中退し、日本のトヨタ自動車アルバルクへと入団しました。

日本人初のNBAプレイヤーに!

2003年7月には、NBAダラス・マーベリックスのサマーリーグに参加しました。サマーリーグ終了後、デンバー・ナゲッツと契約を交わしプレシーズンマッチに3試合出場したものの、開幕ロースター入りは果たせず。

豆知識

NBAのロースターは15人(現在は2Wayプレイヤーを含めた、上限17名まで)となっており、世界一狭き門とも言われています。

2003年11月にABA(アメリカの独立プロリーグ)ロングビーチ・ジャムと契約を結ぶと、2004年の4月には優勝を果たしました。

そしてその年の9月6日にフェニックス・サンズと契約を結び、2004年11月1日に開幕ロスター入りを掴み取ったのです。

豆知識

日本人2人目のNBAプレイヤーとなった渡邊雄太選手は、フェニックス・サンズ戦でNBAのコートに立つと、田臥勇太選手と同じようにフリースローでNBAキャリア初得点を記録しました。

渡邊雄太選手のスタッツ速報・プロフィールまとめ!【10月27日NBAデビュー!】

2019.01.16

その後11月3日のアトランタ・ホークス戦で日本人初となるNBAの公式戦のコートに立ち、初得点をフリースローで記録するなど、7得点を記録しました。

シーズン中は4試合に出場しましたが、12月18日に解雇されてしまいました。

サンズを解雇された後

フェニックス・サンズを解雇された後は、ABAのチームやNBAの傘下となるチームと契約を結び、NBA復帰の道を模索していました。

2005年以降NBAのチームとしては、ロサンゼルス・クリッパーズと契約を結んだり、ダラス・マーベリックスやニュージャージー・ネッツ(現:ブルックリン・ネッツ)のサマーリーグに出場をしたものの、本契約を勝ち取ることはできませんでした。

田臥勇太が日本に与えた影響

田臥勇太選手は日本人として初めてNBAのコートに立ったプレイヤーとして、日本人のバスケファンであれば誰もが知っている名前ですが、彼は一体日本にどのような影響を与えたのでしょうか?

高校の天皇杯(全日本)出場

毎年11~翌1月にかけて開催される大会に、全日本バスケットボール選手権大会と言う大きな大会があります。

同大会は、カテゴリーに関係なく、今では高校生・大学生・実業団・トップリーグのチームが参加する、正真正銘の日本一を決める大会です。

2008年になってから、高校のチームが参加できるようになったのですが、それまでは高校生は全日本バスケットボール選手権大会に出場することはできませんでした。

しかし、1999年は特別推薦枠として田臥勇太選手率いる能代工業高校が、同大会に出場を果たしたのです。

結果は1回戦で愛知学泉大学に破れてしまいましたが、歴史を作った瞬間でもありました。

それから10年、高校生でも出場できるようになったのは、田臥勇太選手の活躍があったからでしょう。

観客動員数の増加

田臥勇太選手が日本に復帰してから、僕個人としては観客動員数が増加しているように思います。

「日本人初のNBAプレイヤーを観に行こう」と、多くのバスケファンが田臥勇太選手の活躍を観に行ったことでしょう。僕も、当時は小学生でしたがミニバスのチームメイトを行ったことを覚えています。

現在となっては、Bリーグの観客動員数も年々増加しており、田臥勇太選手だけの力ではないかもしれませんが、間違いなく田臥勇太選手が与えた影響というのは大きいものがあるでしょう。

田臥勇太のプレイスタイル

田臥勇太選手のプレイスタイルを紹介していきましょう。

田臥勇太選手は、高校時代から抜群のスピードと卓越したパススキルで、相手ディフェンスを翻弄していました。20年近く経った現在でも、未だに彼のプレイ動画が観られているのは、当時から異彩を放っていたからに他ならないでしょう。

僕自身、小学生の時に田臥勇太選手のNBAでのプレイを観た時に、とんでもないスピードでプレイしているな、と思ったことを今でも覚えています。

NBAでプレイするにあたり、多くのルーキーが悩まされるのがNBAの「スピード」と言われています。

田臥勇太選手はわずか4試合の出場に留まりましたが、175cmの身長でNBAで活躍するためには、あれほどのスピードがなければいけないんだなと、テレビ越しでも感じました。

田臥勇太のプライベート

(出典:https://abematimes.com/posts/5045824)

田臥勇太選手は、バスケプレイヤーとしての面は非常によく知られていますが、プライベートの面ではあまり知られていないと思います。なので、少し彼のプライベートに少し触れていこうと思います。

田臥勇太選手は現在38歳ですが、未だに結婚をしていません。

田臥勇太選手は過去にアナウンサーの前田有紀さんや、つい最近の2018年3月までは竹内由恵さんと交際をしていました。

僕個人としては、田臥勇太選手の子供がバスケ界で活躍する姿を観てみたいという思いもあるので、是非ともゴールインをして欲しいなと思っています。

実は中学生の時にあの大物と共演していた!

田臥勇太選手は、中学生の時に全国大会で3位に輝いたり、ベスト5に選出された経歴を持っているのですが、その年にNBAのスーパースター、パトリック・ユーイングとテレビCMで共演を果たしていたんです!

その映像がこちら↓

NBAのスーパースターと、一緒のコートに立ちバスケをプレイするとは、なんと幸せな中学生だったのでしょうか。。

パトリック・ユーイングはNBAファンなら誰もが知っているかと思いますが、知らない人のために少し紹介しておくと、

  • バスケットボール殿堂入り
  • ニューヨーク・ニックスの永久欠番(#33)
  • NBAオールスター:11回
  • オールNBAチーム1stチーム:6回
  • NBAオールディフェンシブチーム:3回
  • 新人王
  • オリンピック金メダル:2回

このような実績を持っています。1992年にはマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンと共にアメリカ代表に選出され「ドリームチーム」を結成しています。

まとめ

田臥勇太選手は、日本のバスケ界に多大なる貢献をしてきた、正真正銘のスーパースターです。

すでに38歳と、年齢的に衰えが見え始め全盛期はとうに過ぎているのですが、それでもファンから愛され、未だに多くのバスケファンが田臥勇太選手のプレイを観ようと会場へ足を運んでいます。

48歳にして今もなお現役を続行している折茂武彦選手のように、田臥勇太選手も現役生活を長く続けて欲しいなと思います。


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ABOUTこの記事をかいた人

バスケブロガーの修一です。 小学校3年の頃から大学1年まで現役。そのあとはクラブチームでバスケをしながら、学生時代からバスケの仕事をしてきました。 今は会社の役員をしながらバスケブロガーとしても活動してます。